武内朗「TV SONGS ベスト1000」- ぼくらのマガジーン/Gene


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TV SONGS ベスト1000


「TVガイド」や「TV Bros.」などのテレビ誌編集長を
歴任してきた武内朗さんは、
その経歴どおり、テレビ、そして音楽が大好物。
そんな武内さんが、各年ごとのTVソング厳選20曲を
カセットテープのベストセレクション形式でご紹介。
「ライナーノート付きマイテープ」の趣きで、
最終的な総曲数はなんと1000曲超え。
懐かしいあの番組、あのテーマ曲の数々を
ぜひとも脳内で再生しながらお読みください。


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1. 嵐が丘(Wuthering Heights)
 /ケイト・ブッシュ

  Kate Bush作詞・作曲
  「恋のから騒ぎ」
  (日本テレビ系 1994/4/16〜2011/3/25)オープニングテーマ

 イギリスの天才女性ボーカリスト、ケイト・ブッシュが1978年1月にリリースした驚異のデビュー曲。一度聴いたら忘れられない史上に残る名曲で、いきなり全英ナンバーワンを獲得した。1958年7月30日生まれのケイト・ブッシュはこのとき19歳であった(ちなみに小説「嵐が丘」を書いたエミリー・ブロンテもケイトの生まれる140年前、1818年の同じ7月30日に生まれている)。原作も日本で特に人気が高い小説だが、ケイト・ブッシュの「嵐が丘」も本国イギリス以上に日本で親しまれている曲だろう。なぜかといえば、西洋のお城のビジュアルをバックに、20年近くにわたって「恋のから騒ぎ」のオープニング曲として使われていたからである。
 「恋のから騒ぎ」は「あっぱれさんま大先生」と「踊る!さんま御殿‼」の中間に位置する明石家さんまのMCとしての代表作の一つで、“10数人のゲストを集めてエピソードトークをさばく”というさんま十八番のスタイルを完成させた番組である。トークテーマを若い女性の恋愛あるあるネタに限定したというのがミソで、これが番組成功の原因であった。しかしそれがスタイルを変えずに17年も続いたというのはやはりある種の奇跡であろう。奇跡を支えた要因は何を差し置いてもさんまの天才的な話術によるところが大きいが、もうひとつシェークスピアをもじったタイトルや中世ヨーロッパ的なビジュアルが志向したエセ古典(クラシック)感あふれるパッケージも、内容の徹底した軽薄さとの対比という点で重要であった。その意味では、1978年の発表当初からすでにある種の古典感を漂わせていたこの曲がオープニングを飾って根本のところで番組のオフビート感を補強し続けていたことも、番組の成功要因の一つだったかもしれない。


2. 恋人たちのクリスマス(All I Want For
 Christmas Is You)/マライア・キャリー

  Mariah Carey&Walter Afanasieff作詞・作曲
  「29歳のクリスマス」(フジテレビ系 1994/10/20〜12/22)主題歌

 フジテレビ系木曜10時枠10月クールドラマ主題歌。シングルの売り上げが100万枚を突破するという洋楽としては異例の大ヒットとなった(この時点でミリオン突破を果たしていた洋楽シングルはダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」だけで、「恋人たちのクリスマス」が2例目。また、この曲を収録したマライアのアルバム「メリー・クリスマス」は洋楽アルバムとして初めて200万枚を突破した)。ドラマ主題歌だったこともあり日本だけのヒット曲と思われがちだが、実際は本国アメリカでも「ホワイト・クリスマス」に匹敵するホリデイ・ソングとして人気を集めており、全世界的にも1000万枚以上の売り上げを誇る歴代有数のワールドワイドなヒット曲である。決して日本のローカルヒットではないということは覚えておいた方がいいと思う。
 「29歳のクリスマス」は、山口智子、松下由樹、柳葉敏郎出演のアラサー・ラブストーリー。いつもその時代の特徴的なライフスタイルを半歩先んじて提示しつづけ、「俺たちの旅」「金曜日の妻たちへ」「男女7人夏物語」など各時代を代表するヒットドラマを数多く作り出してきた脚本家・鎌田敏夫の90年代の代表作である。決してハッピーなだけの物語ではなくむしろほろ苦い結末を迎えることが多いのに、なぜか観る者に居心地のよさを与えてくれるのが鎌田作品の特徴で、このドラマでも30歳を目前にした働く女性の心模様が多くの視聴者の共感を呼び、鎌田はこの作品で向田邦子賞を受賞している。
 とはいえこのドラマが山口智子ありきで成立していたことは間違いがない。彼女はこのドラマで「ダブルキッチン」「スウィートホーム」の若妻イメージから一気に働くアラサー女子の共感アイコンとして降臨するに至り、一気にトップランクのドラマ女優となる。なぜ29歳なのかというのも当時ずいぶん話題になり、80年代はクリスマスケーキなんて言われてたのが5年伸びたんだとかいろいろ論議を呼んだが、結局のところ山口智子が当時29歳だったということが大きいと思う(10月20日生まれの山口智子は放送開始直後に30歳になった。ちなみに松下由樹はまだ26歳、柳葉敏郎は33歳を超えていた)。


3. Oh My Little Girl/尾崎豊

  尾崎豊作詞・作曲 西本明編曲
  「この世の果て」(フジテレビ系 1994/1/10〜3/28)主題歌

 フジテレビ系月曜9時枠1月クールドラマ主題歌。1992年4月に亡くなった尾崎豊が1983年に発表したファーストアルバム「十七歳の地図」の収録曲。尾崎豊初のオリコン1位獲得曲で、自身の最大売り上げを記録したシングルでもある。アルバムの中では「I LOVE YOU」の対角線上に位置するバラードの小品というポジションだが、ここに描かれているようなイノセンティズムが(偶像になる前の)尾崎が本来持っていた最もプリミティブな理想の女性像の反映だったと思うし、それはまたドラマの世界観ともきちんとリンクしていた。死後に発売されたこのシングルが彼のベストセールス曲になったことは(CDシングルバブルのこの時期にドラマ主題歌になったことが大きいとはいえ)尾崎豊の立体的な評価のためには非常にいいことだったと思う。
 「この世の果て」は、大多亮プロデュース&野島伸司脚本。野島作品としては「高校教師」「ひとつ屋根の下」と「家なき子」「人間・失格」の間に位置している作品で、非常に厭世的な物語だが、鈴木保奈美・桜井幸子の姉妹に三上博史・豊川悦司が絡むというキャスティングは野島的世界観を体現するのにはこれ以上ない理想的なもので、それなりの注目を集めた。まあ正直これだけとんでもないドラマが全回視聴率20%を超えていたのだから、当時の月9枠、あるいは大多&野島コンビへの信頼感・期待感は相当な物があったということだろう(そういえば最近三上博史が、映画の「ベティ・ブルー」を見てプロデューサーにこういう恋愛ものがやりたいと直訴してできたのが「この世の果て」だ、とラジオで話していた。「ベティ・ブルー」の頃の三上はちょうど「私をスキーに連れてって」や「君が嘘をついた」で人気に火が付いていた頃だったから、そういう嗜好を持ってしまうのも無理はないし、仮に作り手の頭にこの辺りのイメージがあったとすればこれくらいのとんでもなさは仕方なかったのかもしれない)。ちなみに、タイトルの由来はスキーター・デイヴィスの1963年のヒット曲「The End of the World(邦題・この世の果てまで)」。今でいうセカイ系に直結する自意識を大々的にフィーチャーした超モダン(かつロマンティック)な歌詞とメロディーの抜群の美しさが際立つ名曲で、海外でも日本でも様々な作品に多く引用される楽曲である。


4. 永遠のパズル/橘いずみ

  橘いずみ作詞・作曲 橘いずみ・須藤晃編曲
  「この愛に生きて」(フジテレビ系 1994/4/14〜6/23)主題歌

 フジテレビ系木曜10時枠4月クールドラマ主題歌。橘いずみは尾崎豊を手がけた須藤晃のプロデュースで尾崎死亡直後の1992年6月にデビュー。翌93年3月発売の「失格」が大きな話題を集めた。小柄な体で過激かつ内省的な歌詞を懸命に歌う姿には強さと脆さが無理なく同居しており、「女・尾崎豊」と称されるのも無理からぬところではあったが、結局本人は長い間そのイメージに苦しめられることになる。資質の問題もあるが、なにより「失格」発売時にはすでに24歳を超えていた橘いずみにとって“反抗する10代”のシンボルだった尾崎豊のイメージを重ねられることはかなりのストレスだったことだろう(尾崎本人ですらその重圧の呪縛に勝てなかったのだから)。この「永遠のパズル」は、ポップな曲調の中にそうした橘いずみの迷いや葛藤が素直に出ていて彼女の代表曲と呼ぶにふさわしい佳曲。自身のシングル最大セールスを記録した。
 「この愛に生きて」は野沢尚の脚本で喜多麗子プロデュース。浅野ゆう子主演の「親愛なる者へ」、浅野温子主演の「素晴らしきかな人生」に続くいわゆる野沢尚結婚三部作の第3弾で主演は安田成美。木梨憲武との結婚後初のドラマで、連ドラ主演は「素顔のままで」以来であった(かつての月9のヒロインたちを木曜10時枠に順に並べた戦略は、彼女たちへのセカンドキャリアの提案であると同時に、かつての月9視聴者たちへの新たなドラマ枠のレコメンドになってもいたし、脚本家・野沢尚のプレゼンテーションにもなっていた。こうした俳優や脚本家のブランディングを、プロデュースサイドが完全なイニシアチブを取って行っていたのだから、やはりこの時期のフジテレビドラマはプロデューサー主導で十分機能していたと思う)。平凡な日常を生きる主婦の不倫ものとしてスタートしながら、中盤で子どもが誘拐されてからは一気にサスペンスの様相を呈する多重構造のドラマで、見ごたえは十分。共演は岸谷五朗、豊川悦司。2人ともここから数年立て続けに連続ドラマの主演作が続く売れっ子俳優になっていく。


5. 祭りのあと/桑田佳祐

  桑田佳祐作詞・作曲 桑田佳祐・小倉博和編曲
  「静かなるドン」(日本テレビ系 1994/10/21〜1995/3/17)主題歌

 日本テレビ系金曜8時枠10月クールドラマ主題歌。桑田佳祐のソロ活動第2期を締めくくった一作。このシングルのあと、Mr.Childrenとの「奇跡の地球」をはさみ、桑田はサザンオールスターズとしての活動に回帰していく。桑田ソロ名義でのリリースは(1998年「夏のYeah!」&2000年「TSUNAMI」のウルトラメガヒットと大森隆志サザン脱退を経たあとの)2001年「波乗りジョニー」まで途絶えることとなる。
 桑田とサザンが「KAMAKURA」で極めたものとは、具体的にはデジタル楽器を駆使したスタジオでの自己表現である。それは80年代前半のサザンに漂っていたある種のフラストレーションを吹き飛ばし、彼らを過去最高の音楽的高みに運んだが、その分バンドとしての一体感を犠牲にせざるを得ず、サザンは(極端な言い方をすれば)バンドである必要を見失う。「KAMAKURA」のあと、原由子の出産を機にサザンはグループとしての活動を休止、桑田は第1期のソロ活動に入る。まず腕利きのミュージシャンを集めたKUWATA BANDで、テクニカルかつソウルフルなロックバンドのグルーヴを極めた桑田は、返す刀で「KAMAKURA」直伝のデジタルスタジオワークを駆使して初ソロアルバム「Keisuke Kuwata」を作る。共同プロデュースは小林武史と藤井丈司。そしてその後のサザンオールスターズの活動は「Southern All Stars」「稲村ジェーン」「世に万葉の花が咲くなり」と基本的にこちらの「KAMAKURA」〜「Keisuke Kuwata」体制で進み、音楽的にも商業的にも大きな成果を残す。サザンオールスターズは国民的ポップロックバンドとして盤石のグループ体制を築きながら、バンドであることの必然性を本質的には取り戻せぬままでいた。その後、関口和之の病気療養を機に再びサザンはグループとしての活動を休止、桑田は第2期のソロ活動に入る。ボブ・ディランのスタイルを下敷きに(おそらくは)、内省的な詞をフォーキーに歌うロックアルバム「孤独の太陽」のある種の分かりやすさを経て、桑田はサザンと自分の折り合いをつけたと思う。このあと「マンピーのGスポット」〜「YOUNG LOVE」でサザンを再開して以降、桑田のソロとサザンに本質的な違いはなくなる(「YOUNG LOVE」はいくら打ち込みを使っても、いくらメンバー以外の演奏者を起用しても、サザンのアイデンティティは揺るがないという力強い宣言であった。同時に「波乗りジョニー」以降の桑田はソロとサザンで作品を区別しないようになった。だって俺もサザンのメンバーなんだし、という当たり前の理由で)。したがってこの「祭りのあと」はnotサザンとしてのソロを意識した最後の作品ということになるだろう。ディランというより吉田拓郎、もっと言えば河島英五や長渕剛に通じる男節炸裂のフォークロックで、スケベ全開が身上の桑田が男の純情を自ら吐露した真摯な一曲である。ちなみにカップリングはあの「すべての歌に懺悔しな!!」。今の桑田なら大いなるシャレだったと笑うだろうか(あと10年くらい無理かな?)。
 「静かなるドン」は新田たつお原作コミックのドラマ化で、主演は中山秀征。日本テレビの金曜8時枠最後のドラマである。日本テレビの金曜8時枠といえば、1972年に当時の一大人気コンテンツだったプロレス中継の後を受けて「太陽にほえろ!」をスタートさせて以来、アクションメインの刑事もので一世を風靡したテレビ界を代表するドラマ枠であり、この枠のドラマ撤退は大きな決断だったと思う。だが結果的には、バラエティー枠に転じたこの金曜8時枠からのちの日テレバラエティー黄金時代を支える番組が生まれることになるわけで、そういう意味ではこの勇気ある撤退こそが日テレ絶頂期へ向けての象徴的な一手だったと言えるかもしれない。


6. 純愛ラプソディ/竹内まりや

  竹内まりや作詞・作曲 山下達郎編曲
  「出逢った頃の君でいて」
  (日本テレビ系 1994/4/13〜6/29)主題歌

 日本テレビ系水曜10時枠4月クールドラマ主題歌。竹内まりや現時点での最大ヒットシングル。この年の7月に発売されたベストアルバム「Impressions」は最終的に300万枚を超える売り上げを記録、竹内まりやは一気にドリカムやミスチル等と並ぶメガヒットアーティストになった。グループアーティスト以外でアルバムがトリプル・ミリオンを突破したのは竹内まりやが初めてだった(その後、ユーミン、安室奈美恵、宇多田ヒカル、浜崎あゆみなど、トリプル・ミリオンを突破する女性ソロアーティストが次々に現れたが、男性ソロアーティストでトリプル・ミリオンを超えたアーティストは未だに現れていない)。
 1988年の「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」ほか様々な人気番組の立ち上げにかかわるなどバラエティー畑で数々の実績を上げ、1992年には「24時間テレビ」再生に手腕を発揮、日テレ復活のキーマンとなった小杉善信プロデューサーが1994年ドラマ班に異動する。その彼が最初に手がけたドラマのひとつがこの「出会った頃の君でいて」である。脚本に内館牧子、ヒロインに酒井法子を起用、他局で実績を持つ顔ぶれをそれなりに取り込みながら、あからさまな踏襲とはしていない微妙な匙加減に、ある種のチャレンジ精神が感じられる。実際大きなヒットにはならなかったし、内容もいまひとつではあったが、この酒井法子の起用が翌95年の「星の金貨」のヒットにつながることになるわけで、それは確かに意味のあるチャレンジであったろう(それにしても当時の竹内まりやのタイアップ曲には不倫テーマの曲が多い。本人に不倫を喚起するイメージが一切ないにもかかわらず。不思議である)。


7. 空と君のあいだに/中島みゆき

  中島みゆき作詞・作曲 瀬尾一三編曲
  「家なき子」(日本テレビ系 1994/4/16〜7/2)主題歌

 日本テレビ系土曜9時枠4月クールドラマ主題歌。1981年の「悪女」以来13年半ぶりにヒットチャートの1位を獲得、現時点での中島みゆきのベストセールスシングルである。愛することの悲しさ、苦しさを驚くほどピュアに歌い上げた非常に厳しいラブソングで、無償の愛に至る境地をここまでまっすぐに描けるものかと、初めて聴いたときは驚いた。今ではこれは中島みゆきがドラマに登場する主人公に寄り添う犬・リュウの目線で書いた歌詞であることが知られている。なるほど天使のような無償の愛もむべなるかな。
 「出会った頃の君でいて」と同じ4月クールに小杉プロデューサーが手がけたもう1本のドラマがこの「家なき子」である。フジとTBSでヒットを連発していた野島伸司を企画・原案に起用、当時中学校に上がったばかりだった安達祐実を主演に迎えて、大きな期待とともにスタートした「家なき子」は日テレドラマの歴史に残る大ヒットを記録。最終回は37.2%をマークして、フジもTBSも抑えてこの年の最高視聴率ドラマとなる。日本テレビはこの年初の視聴率三冠王を獲得し、10年以上にわたってフジテレビが君臨してきたテレビ界の盟主の座を奪い取る。翌年金曜8時のドラマ枠を終了させたことも含め、日テレのこうした一連のドラマに対する戦略の変更が、三冠王奪取の原動力の一つになっていたことは言うまでもない。


8. Hello, my friend/松任谷由実

  松任谷由実作詞・作曲 松任谷正隆編曲
  「君といた夏」(フジテレビ系 1994/7/4〜9/19)主題歌

 フジテレビ系月曜9時枠7月クールドラマ主題歌。自己最大のヒットとなった「真夏の夜の夢」以来丸1年ぶりのシングル。もともとこの年亡くなったアイルトン・セナへの追悼曲として書かれた「Good-bye friend」(「Hello, my friend」のカップリングに収録。ドラマ内でも挿入歌として使用された)が元曲で、ドラマ向けに書き直されてはいるが、サビのメロディーや歌詞の多くの部分は踏襲されている(セナがなくなったのは同年の5月1日だから本当に亡くなった直後に書かれていたことになる)。
 「君といた夏」は、亀山千広プロデュース&北川悦吏子脚本コンビによる「あすなろ白書」後初の連続ドラマ。主演はやはり「あすなろ〜」で名を上げた筒井道隆。共演は「ひとつ屋根の下」の三男・いしだ壱成と「スウィートホーム」で山口智子の妹を演じていた瀬戸朝香。他にもドラマ初出演の大沢たかおや、前クールの「アリよさらば」で生徒役のひとりだった小沢真珠を重要な役で起用するなど、制作側が新鮮なキャストを起用することに非常に意識的であったことがわかる。


9. 春よ、来い/松任谷由実

  松任谷由実作詞・作曲 松任谷正隆編曲
  「春よ、来い」(NHK総合 1994/10/3〜1995/9/30)主題歌

 1994年10月度NHK朝の連続テレビ小説主題歌。前作「Hello, my friend」から3ヶ月弱でのシングル発売、どちらも話題のドラマの主題歌でしかも作風が正反対という離れ業で大きな注目を集めた。両曲はともにミリオンセラーを記録し、双方を収めたアルバム「THE DANCING SUN」は、今でも彼女のオリジナルアルバムの最高売り上げを誇っている。
 ドラマ「春よ、来い」は第52作目のNHK連続テレビ小説で、脚本を手がけたのは朝ドラ4作目となる橋田壽賀子。1991年の「君の名は」以来の1年間放送作品となった現時点で橋田壽賀子が手がけた最後の朝ドラである(橋田壽賀子の自伝的なドラマであるとされ、橋田をモデルとしたヒロイン春希に安田成美が扮したが体調不良を理由に途中降板、中田喜子に交代した)。
 ポピュラーアーティストによる主題歌が日常的に朝ドラを彩るようになった「ひらり」以降では1年間放送された唯一の朝ドラであり、取りも直さず朝ドラで1年間流れ続けた主題歌はユーミンのこの曲が初めてだったということになる。そのことが何を意味するかをユーミン及び松任谷正隆は十分に認識していただろうし、実際この曲は時の流れを超えて歌い継がれるスタンダード曲となり、発表以来10数年を経た東日本大震災の時にも多くの人々を勇気づける1曲となった(松任谷正隆は「春よ、来い」の劇伴も担当していた。彼がテレビドラマの音楽を手がけることは大変に珍しい)。


10. Tomorrow Never Knows/Mr.Children

   桜井和寿作詞・作曲 小林武史&Mr.Children編曲
   「若者のすべて」
   (フジテレビ系 1994/10/19〜12/21)主題歌

 フジテレビ系水曜9時枠10月クールドラマ主題歌。9月1日に発売された傑作アルバム「Atomic Heart」が大ヒットを記録する中で発売されたMr.Childrenの6枚目のシングル。当時のミュージックシーンは、ビーイング勢や小室ファミリーがチャートを席巻し、ユーミン、ドリカム、チャゲアスらの大物が次々にヒット作を量産していた、まさにCDバブルが頂点に達していた時代。そんな中、新たなヒットメーカーとして注目されていたのがMr.Childrenであり、その真価を決定づけたのがこの曲であった。もともとこの時期の桜井和寿は多作だったが、なにしろ直前に発売された「Atomic Heart」が異様にクオリティーの高いアルバムだったので直後にこれだけの楽曲が登場するとは夢にもおもわず、当時このバンドにはどれだけの才能が埋蔵されているんだと空恐ろしく思えたものである(桜井和寿本人も自分は天才かなって少し思ったと後日述懐していたことを覚えている)。
 「若者のすべて」は「君といた夏」に続く亀山千広プロデュース作品で、「君といた夏」で使わずに残しておいた「あすなろ白書」最後の切り札・木村拓哉を満を持して起用した、「アウトサイダー」スタイルの青春群像ドラマ。1994年は、様々な分野でSMAPのパワーが同時多発的にブレイクした最初の1年で、「Hey Hey おおきに毎度あり」が初めてオリコンナンバーワンを取った年であり、中居正広と香取慎吾が「笑っていいとも!」にレギュラー出演し始めた年でもある。結果的にここから20年近くにわたって彼らの治世が続くことになるのだが、そのブレイクの最も大きな原動力となったのが木村拓哉という存在であったことは論を待たないだろうし、それが最も象徴的に現れたのがこの「若者のすべて」であった(なお個人的にこの年のSMAPの活動で最も印象的だったのは、空前絶後の元旦武道館1日6回公演と、木村が出演した「MOTHER2」のテレビCMである)。主演の萩原聖人は木村より一つ年上で、この時期若手の男優群では最大の注目株として映画やドラマで活躍。同世代のSMAPに対して相当なライバル心を抱いており、1991年の「学校へ行こう!」の生徒役で中居正広・稲垣吾郎と共演した時も互いに火花を散らしていた。「若者のすべて」での木村との確執もずいぶん取りざたされたが、少なくともドラマ上ではこの緊張関係は良い方に働いていたし、主人公のライバルの位置に木村拓哉を配するという「あすなろ」仕込みのポジション取りも見事に功を奏していた。共演は他に武田真治、深津絵里、鈴木杏樹、遠山景織子と当時としてはかなりセンスの良い配役で、さらに90年代から現在に至るまでテレビドラマの保守本流を支えることとなる脚本家・岡田惠和が初めて全話を手がけたオリジナル脚本作品でもあり、爆発的な視聴率こそ獲得していないけれど、確実に新しい時代への予感を孕んだドラマだった。そしてそんなドラマの主題歌をMr.Childrenが手がけていたりするわけだから、なるほどうまくできてるもんだなと感心したりもするのである。



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レコードイラスト:GATAG|フリー素材集 壱CC BY-SA 3.0

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