武内朗「TV SONGS ベスト1000」- ぼくらのマガジーン/Gene


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TV SONGS ベスト1000


「TVガイド」や「TV Bros.」などのテレビ誌編集長を
歴任してきた武内朗さんは、
その経歴どおり、テレビ、そして音楽が大好物。
そんな武内さんが、各年ごとのTVソング厳選20曲を
カセットテープのベストセレクション形式でご紹介。
「ライナーノート付きマイテープ」の趣きで、
最終的な総曲数はなんと1000曲超え。
懐かしいあの番組、あのテーマ曲の数々を
ぜひとも脳内で再生しながらお読みください。


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record 1980bonus

さよならの向う側/山口百恵

 阿木燿子作詞 宇崎竜童作曲 萩田光雄編曲
 「山口百恵さよならコンサート」(TBS系 1980/10/5)

 漫才ブームとアイドルブームが同時に勃興し、糸井重里・川崎徹らCMクリエイターが若者の注目を集め、音楽界ではYMOやRCサクセションが大きな人気を得、年末にはジョン・レノン射殺のニュースが衝撃と共に駆け抜けた1980年。その後の日本のカルチャー、エンターテインメントに大きな影響を及ぼす萌芽がいくつも芽生えたこの年の、芸能界最大のビッグイベントが山口百恵の結婚・引退であった。当時の空気を知らない若い人は、なぜ一女性歌手の引退がそれほどの大きな話題となり、20年経っても30年経っても語られ続けているのか、理由が分からないだろう。その理由をこのスペースで語り尽くすことはとても難しいのだが、いずれにしても、恵まれない家庭環境に育ち、若くしてトップアーティストへと駆け上がった山口百恵が、デビュー直後からずっと共演し続け、誰もが認めるベストパートナーだった三浦友和と結婚して家庭に入る、というストーリーは、当時一点の曇りもない完璧なハッピーエンドの物語として世の中に受け入れられ、それが国民的なビッグイベントとして語られることに誰も疑問を抱かなかった(そして長男や次男の芸能活動を通して、物語は今も続いている)。 山口百恵の引退記念日は1980年の10月15日であるが、これはラストコンサートが行われた日ではない。日本武道館でラストコンサートが行われたのは10月5日の日曜日。ここからの15日までの10日間、百恵は各局の歌番組や特別番組に順番に出演していき、最後の15日に東京プリンスホテルで行われたホリプロ創立20周年記念式典に出席したのが最後の芸能活動であった(ここでの歌唱シーンもテレビ朝日で放送された)。

 10月5日の最後の武道館コンサートはTBSで生放送された(山口百恵の全国縦断ファイナルコンサートツアーは、9月30日〜10月5日の6日間に札幌・福岡・大阪・名古屋・東京の順で5回行われている。6日で5カ所。そのあと毎日キー局行脚。本当にとんでもない)。番組は夜7時半からの90分番組。コンサート自体はもちろんもっと前から始まっているので、番組は久米宏による武道館の外からの生リポートで始まり、前半は録画編集によるヒット曲メドレーで構成、実際に生放送となったのは最後の「さよならの向う側」1曲だけだった。曲前のスピーチから彼女はすでに泣いていたが(その前の4カ所では涙は見せなかったと言われる)、それでも彼女はほぼ歌を乱すことなく最後まで歌い切る(大ラス前でわずかに歌に詰まり「ありがとう・・・」の言葉で引き取ったあと、最後のひと節を決める構成の見事さはしみじみ美しい)。歌い終えたあとマイクをステージに置いて去るパフォーマンスは、今でも様々にアレンジされてリピートされ続けるラストパフォーマンスのスタンダードとなった。この手の番組では、どんなアクシデントがあっても曲の途中で番組が終わることだけは許されない。従って当然余裕を持ったスケジュールでステージは進み、コンサートは8時半過ぎに終了。ここから番組終了までの余った10分余の時間を、番組はすべて久米宏の客席からのひとり語りで埋めた。このころすでに久米の天才的な生仕切り振りは知れ渡っていたし、同時に久米は「ザ・ベストテン」内で百恵ファンであることをさんざん公言してもいたので、不自然な流れではなかったし、確かにベストな対処策だったと思うけれど、それでもそれが常識を超える大胆不敵な方法であったことは素人目にも十分感じられた。

 三浦友和・山口百恵の結婚は同年11月19日水曜日、青山霊南坂教会にて行われた(これももちろん大フィーバーとなり、各局のワイドショーがこぞって生中継をした)。彼女の引退から結婚までの1カ月の間に、優勝を逃した巨人の長嶋監督はその職を解かれ、王選手は現役引退を発表し巨人軍の助監督となった。



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レコードイラスト:GATAG|フリー素材集 壱CC BY-SA 3.0

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