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かつてシリアといえばレバノンやパレスチナを含む広大な地域を指したが、現在は国家としてのシリア・アラブ共和国を指すのが一般的。面積は日本の約半分、首都はダマスカス。多くがイスラム教徒で、公用語はアラビア語。地形、気象の変化に富み、地中海沿岸は温暖でオレンジやオリーブの栽培が盛ん。南北に山脈が伸び、山脈東側からチグリス・ユーフラテス川流域には多くの古代文明が栄えた「肥沃な三日月地帯」が、南東部には国土の半分近くを占める沙漠地帯が広がる。遺跡も多く、シリア産のオリーブオイルや石けんは世界的に有名。

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目次


2015-12-25  〈1〉『アラビアのロレンス』で沙漠に恋を


2015-12-26  〈2〉はじめての沙漠、ベドウィンとの暮らし


2015-12-27  〈3〉意識が変わったら、写真が変わった


2015-12-28  〈4〉アレッポは中東の食いだおれ!


2015-12-29  〈5〉伝統的なベドウィンは減り続けている


2015-12-30  〈6〉「あなたもこれでアラブになったね」


2015-12-31  〈7〉また行きたくなる、人々の温かさ


2016-01-01  〈8〉その場所に行ってみる、ということ


2016-01-02  〈9〉平和で美しいシリアを伝えたい


写真集

book/arab

『ARAB Bedouin of the Syrian Desert:Story of a Family』/𠮷竹めぐみ

17年にわたって撮り続けた、遊牧の民ベドウィン家族の貴重な記録。
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▶日本語冊子付きはこちら。




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小沼さん

(以下敬称略)

𠮷竹さんが沙漠に興味を持たれたきっかけは
『アラビアのロレンス』だとうかがっています。
やはりそれが出会いと考えてよろしいのでしょうか?

𠮷竹さん

(以下敬称略)

そうなんです。
『アラビアのロレンスの秘密』という、
小説というか伝記みたいなものを15歳のときに読みまして。

小沼

はい、ありました。たしかに。

𠮷竹

あれを読んで「おもしろいなぁ」と思ったところに、
『アラビアのロレンス』の映画を観て。
ご覧になりました?

小沼

ええ、もちろんです。
子ども心に大々的な宣伝はおぼえていますし、
1963年でしたか、
そのロードショーは小さすぎて無理でしたが、
何度か再公開されていたときに親と一緒に観ています。

𠮷竹

とにかく、あの映像に惹かれてしまったんです。
沙漠もオマー・シャリフも素晴らしく魅力的で、
あそこにいつか行きたいなぁと。

小沼

なにもない、というところに惹かれた?

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𠮷竹

あの映画に「沙漠は清潔だ」というセリフが出てきますよね。
実際には(主人公のモデルである
トーマス・エドワード・)ロレンスは
そういうことを言っていないそうですけど、
「沙漠は清潔」ってどういうことだろうと思って。

小沼

むしろ逆な感じがしますよね。

𠮷竹

そうなんですよね。
それから、父が趣味で写真を撮っていたこともあって、
わたしも学生時代からちょこちょこ撮っていたんですけど、
映画を観たときに、
「わたしはアラブの世界を写真で表現したい。
カメラマンになろう」と思ったんです。

小沼

つまり、沙漠を撮りたくてカメラマンになろうと思った?

𠮷竹

そうなんです。

小沼

『アラビアのロレンス』は沙漠への憧れだけではなく、
𠮷竹さんが写真というものにより深く入り込む
きっかけになったものでもあるんですね。

𠮷竹

はい。

小沼

実際にアラブ世界に行かれたのはいつごろなのでしょう?

𠮷竹

写真学校を卒業して、
21歳で講談社の『月刊現代』の編集部に入ったんですね。
そこではいわゆる政財界の方々の撮影を
中心にやっていて・・・・・・。

小沼

すごくアクチュアリティーのある仕事ですね。

𠮷竹

そうですね。
だから、いろいろと知ったり経験したりした今、
やったほうがよりおもしろいかなと思うんです。
当時は「どこどこ銀行の頭取さん」と聞いても、
偉い人なのはわかりつつ、
そういう人を撮影できることの貴重さを
あまり感じていなかったので。

小沼

でも、そこでやっておいて良かったとも言えますよね。
ほかの写真・・・たとえばアーティストの写真だとかを
撮っていたら、
もしかすると社会や生活といったものも含めたかたちでの
アラブ世界、シリア、といった方面には
向かわなかったかもしれないし。

𠮷竹

あぁ、なるほど。

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𠮷竹

で、その『月刊現代』で仕事を始めてすぐに、
リビアでカダフィが空爆されたんじゃないか、
という事件があって、
ある大学教授の先生にリビア問題を
聞きにいくことになったんです。
その先生はとても変わった経歴をお持ちで、
リビアに留学したいとカダフィに直訴して
留学を実現させた方なんですね。

小沼

あ、そうなんですか!

𠮷竹

その取材のときに、先生に
「わたしは昔から中東が好きなんです、
ツアーで行くつもりなんです」と話したんです。
当時は10日間とか2週間で50万円くらいの、
シリアとヨルダンのツアーがあったんですね。
すごく高いですけど、
中東にどうやって行ったらいいのかわからなかったし、
まだ二十歳そこそこということもあって、
ツアーじゃないと無理だろうと。
そうしたら先生に「ツアーで行ってもつまらない。
自分の学校にはアラビア研究会というのがあって、
学生が卒業旅行でシリアとヨルダンに行くから、
その学生と一緒に旅行したらいいんじゃないか」と
言われたんです。
で、わかりました、そうしますと。
それが1987年。

小沼

アラビア研究会と一緒に。

𠮷竹

そうですね。
男子学生2人と一緒に。

小沼

研究会、というので多いかと思ったら・・・意外に・・・・・・。

𠮷竹

アラビア研究会自体には、もしかすると
もっと所属していたのかもしれませんが、
一緒に旅したのは2人でした。
最初はシリアに行って、シリアからヨルダンに行って、
またシリアに戻って。
1カ月くらいの旅でした。

小沼

けっこう長いですね。
そのときにもう、沙漠には行かれたんでしょうか?

𠮷竹

そこでは行けなかったんです。
とにかく中東ははじめてだったので、
まずはシリアという国、ヨルダンという国に行ってみようと。
それに学生さんと一緒というのもありましたし、
わたしも働き始めてすぐだったので、
お金もなかったんですね。
だからいわゆるバックパッカー旅行。
でも、いろいろとおもしろかったですよ。
ヨルダンへはシリアから陸路で入ったんですけど、
なぜか日本人だけヨルダンの国境で別室に呼ばれるんです。
なにかというと、「赤軍と関係ないか?」って。

小沼

あぁ、そういう時期ですかね。
1970年代から80年代にかけて、
日本赤軍がパレスチナ解放民族戦線など、
いわゆるパレスチナ・ゲリラと
連携したりといったこともありました。

𠮷竹

ええ。
で、そのとき、わたし、
シリアの砂をフィルムケースに入れてたんですね。

小沼

わたしもフィルムケースに砂入れます。
ちょうどいいんですよね、あれ(笑)。

𠮷竹

そうしたら「これは火薬じゃないか!?」って。
そんなわけないだろう、
見ればわかるでしょって伝えるんですけど、
「これは火薬でしょ?」としつこく言ってきて、
火をつけようとするんです。
ライターをカチカチするんですよ。
本当に火薬だったらどうするんだろう?と
思ったんですけど(苦笑)。

小沼

わざとだったんじゃない?

𠮷竹

どうなんでしょうね(笑)。

小沼

貧乏旅行とおっしゃいましたけど、
そういう旅行ならではの醍醐味というのかな。
普通だったら泊まらないようなところ、
行かないようなところは訪ねました?

𠮷竹

ものすごい田舎を訪ねたときに、
ホテルが一軒しかなかったんですね。
一泊1ドル、部屋には窓もトイレも、もちろんお風呂もなし。
ベッドと、水の出ない洗面所だけがあるようなところ。
ものすごく寒かったんですけど布団がなかったので、
男子学生とダウンジャケットを着たまま
一つのベッドで寝ましたね。

小沼

なるほど(笑)。

𠮷竹

それから、ヨルダンでヒッチハイクもしました。

小沼

そういうときは、イスラムの国ですから、
やはりかぶりものをして?

𠮷竹

そのときはしなかったですね。
のちのちベドウィンの人たちと暮らすようになったときには、
同じシリアでもベドウィンはちょっと特殊な、
昔ながらの暮らしをしているので、
彼らと同じようにしていたんですけど。
街ではしなかったですね。
なぜしなかったんだろう?
よく覚えていないです。

小沼

はじめての中東の印象はどうでした? 
ものすごく憧れていても、いざ行ってみると
「二度と行きたくない」というようなこともありますよね。

𠮷竹

それが夢に描いていたとおりだったんです。
沙漠には行けなかったわけですが、余計に
「沙漠に行きたい」という思いが盛り上がったというか。

<次回に続きます>


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