hana2 2017年12月22日_
宇多田ヒカル『Fantôme』、1年3カ月遅れの私的レビューのようなもの


宇多田ヒカルの新曲「あなた」を聴いたのを機に、久しぶりにアルバム『Fantôme』を聴き直した。宇多田が『Fantôme』を出した時、あるリスナーが「あなたの音楽はより肉体的になった」と評し、宇多田はこの感想がとても嬉しかったようだった。彼女の音楽が肉体的になったのは本人もどこかで言っていたように「人間活動」の結果であったり、年齢的なことや母親となったことなどが影響しているのは間違いないだろう。と同時に、あのアルバムに収められた曲を書いていた時(と以降)の彼女は、より肉体的にならざるを得なかったのだと、いま改めて思う。発端がなんであれ、希望とか絶望とか、生きるとか死ぬとか、自分とは何者か、これからどう生きるべきかといった自身の存在の根っこにかかわる問いに向き合い、腹の底から考え抜くには、強靱な精神力を必要とする。そして、強靱な精神力は身体を必要とする。ここでいう身体とは、ひとつは体力。もうひとつは文字どおり、いまこうやって呼吸し、椅子に座り、キーをたたいているこの肉体。肉体とは私たちが存在し、生きていることのひとつの証しでもある。言い換えれば、生きるとか死ぬとか自分は何者かといった問いをもたらし、問いを支える、あらゆる人に共通する圧倒的なリアルである。だから、自身のリアルを背負って生きる者がこれら問いの答えを真摯に求めるなら、望むと望まざるとにかかわらず、おのずと肉体的にならざるを得ない。

宇多田はタイトルの fantôme を「気配」という意味合いで使ったと言っていた。愛する者が突然目の前からいなくなり、もはや見ることも触れることもできない。いるのに、いない。在るのに、無い。そんな戸惑いや失望の中で感じる、亡き者の気配。それは有と無のあいだで輪郭を結ぶ、求める者にとってのたしかなリアルである。母の死という大きな喪失を全身で受けとめ、再生の過程を音楽作品に昇華させた宇多田の『Fantôme』は、生々しさとはまた別のリアリティを湛え、多くの人々のリアルに響いた。

「真夏の通り雨」から「道」を経て、「あなた」へと至った宇多田ヒカル。いま母を彼岸へと見送った私もまた、彼女の曲に、書く詞に慰められ、力をもらう。

コウノアミ



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